沿革

鶴見区歯科医師会の変遷

鶴見区歯科医師会の起源は、大正2年に後に初代会長になられる山崎直樹先生が当時の神奈川県橘樹郡鶴見町に、大正6年に第2代会長になられる前田宗蔵先生が橘樹郡潮田町にそれぞれ医院を開設、隣接地区数人の先生がたで江南歯科医師会を立ち上げたのがそもそもの始まりと言われています。

その後昭和8年10月に山崎先生を会長として僅か36名をもって鶴見区歯科医師会が発会致しました。大戦を経て昭和22年10月に新制歯科医師会となり現在に至ります。

歴代会長を始め理事諸先輩の「和をもって尊しとなす」の一貫した精神に基づいて会が運営され、当時全国にも類を見ない医師会との法人組織による会館を共有し、地元薬剤師会とは三師会をもって共に発展してきました。

しかし、現在に至るまで順風満帆という訳ではなく、昭和43年には鶴見女子大学の歯学部増設問題で1年余りに渡り壮絶な闘争が繰り広げられ、昭和50年12月覚書を交換するまでは混乱が続きました。過去には両者の立場より相反目していましたが、現在では「和をもって尊しとなす」の精神で会員全員が鶴見大学歯学部付属病院「開放型病院」の共同診療臨床医に登録しており、よりよい協力体制を築いております。